年 表  
 1600〜
 江戸期
   
         
慶長5年
(1600) 松平秀康玉紬を北庄紬と改称し、品質の改良と販路拡張をはかる。 松平秀康、紺屋48株(軒)を限定し、染色技術者を保護奨励す。
  寛政
  長谷川与三兵、4本錘8丁式撚糸機を製作と伝えられる。 三宅亟四郎、機業総代となって機業家を監督
  文政
  高島善左エ門、美濃より縞木綿の技術を導入し石田縞を織りはじむ。
文政2年
(1855) 米倉長右エ門、近江より蚊帳地製造の技術を導入。
  文政
  米倉忠七、近江より蚊帳縫工を招き、府中の子弟に習わせ、製品化に成功。
万延
(1860) 松平慶永、製造品(蚊帳)を松、竹、梅の3等に区分し、松の等級に該当する製品には賞金を下付奨励した。
文久2年
(1862) 松平慶永、物産総会所を創立して、物産の振興をはかる。 米倉忠七、近江より蚊帳縫工を招き、府中の子弟に習わせ、製品化に成功。
元治1年
(1864) 飴屋甚右エ門、長浜で染色の伝習を受く。
坪田源助、横浜にて生糸の輸出をはかる。
慶応1年
(1865) 飴屋甚右エ門、養子勘助とともに蚊帳染工場を開く。
慶応2年
(1866) 福井等3藩、上州より産繰機械を移入、また、八王子より同機の製造工、工女を招き伝習をうく。
  慶応
  藩校明道館内洋学教習所に耕織科を設け、奉書紬等を生産。
      福井藩佐々木製造局長、欧米視察の折バッタン機2台を持ち帰り、水車を動力として運転す。
         
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