年 表  
 1912〜
 大正期
   
大正 1年 9月 吉田駒太郎ら、細巾織機の製造に成功。
  針金綜絖使いはじめられる。
  黒川栄次郎、同誠三郎、絹織物を精練と同時に漂白するに成功。
  2年 5月 県絹織物同業組合、松、竹、梅の証票登録を受く。
  加藤常三郎の漆塗錆止の実用新案権受く。
  これより蝋付の用途広まる。
  3年   各地に信用購売販売組合設立さる。
  4年 4月 県工業講習所を廃し、「福井県立工業学校」設立。
11月


県、「生糸検定取締規則」公布。
福井生糸量目検査所認可さる。
西信合名会社、初めて輸出縮緬の試織に成功。
縮緬等強撚糸織物の発展から撚糸加工業起る。
  5年 2月 福井撚糸染工(株)創立、イタリー式撚糸機を設備す。(洋式撚糸機運転のはじめ。)
3月 黒川誠三郎、縮緬精練に成功。
4月 福井紡織(株)創立、豊田式綿力織機、スラッシャー・サイジング機を設備す。(マシンガン・サイジングのはじめ)
7月 島崎正一、力織機で輸出絹紬を製織。
  川中嘉志雄、絹紬精練をはじむ。
  県工業試験場、経人絹、緯綿交織マドラス織の試織に成功。
大正 6年   同業者で「福井リボン会」を組織、後「福井県リボン組合」と改む。
  7年 5月 生糸の強制検査実施で福井生糸量目検査所廃止さる。
  8年 10月 鯖江地方において生糸の正量取引はじまる。(本邦における正量取引のはじめ。)
  日本輸出綿織物同業組合連合会福井支部検査所開設。
  内地絹織物取扱業者「信盛会」を設立。
  糸生増太郎、イタリア型糸生式撚糸機を製作。
  9年 9月 絹紬精練業者の合同なり「福井県絹紬精練(株)」創立。
  戸田政吉、人絹糸応用織物の商品化に成功。
  10年 3月 生糸商同盟会解散し、「福井県生糸商組合」設立。
4月 福井県商工会議所内に手形交換所を設置。
  11年 5月 絹紬扱業者、「福井絹紬会」設立。
  12年 4月 同業者、「福井県輸出綿布同盟会」設立。
5月 県下精練業の統一なり「福井精練加工(株)」創立。
10月
福井精練加工(株)、輸出羽二重、富士絹の染色をはじむ。
人絹緯紋ポプリン中国へ輸出さる。
大正 13年 4月 国立福井高等工業学校開校。
5月 同業者で「福井不二絹会」を設立。
7月 県輸出羽二重検査所、「福井県輸出絹織物検査所」と改称。
  福井精練加工(株)、モスリンの手捺染加工をはじむ。
  経本絹・緯人絹交織のフランス縮緬(斉藤重雄)、同羽二重(佐々木徳右エ門)の製織に成功。
  扱業者で「人絹綿布同盟会」設立。
  14年 1月 県絹織物同業組合「福井県織物同業組合」と改称。
  スパンクレープの製織はじまる。
  県工業試験場、伊勢技師ボイルを考案特許を受く。
  福井銀行、人絹織物を担保として融資をはじむ。
  15年 1月 綿織物の染色加工を目的に「福井染色(株)」を設立。
3月 福井、金沢レーヨン商業者ら「北陸レーヨン商組会」を創立。
12月 絹盛会等解散し「福井県織物商協会」を設立。
  玉村豊治、合製シャットルを完成し、輸入品を駆使す。
  戸田政吉、人絹糸の製造をはじむ。
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 大正期
 〜1924
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